令和7年(2025)1月15日(水)第5回「二水サロン」開催
テーマ
「大阪の緑地計画について…わが国の造園家は都市計画のセンターを取れなかったのか」を考える
話題提供者
大槻憲章さん
NPO法人国際造園研究センター専務理事
大阪における、服部緑地、鶴見緑地、久宝寺緑地、大泉緑地の四大緑地は、1940年、太平洋戦争が始まる直前に防空緑地として都市計画がされます。
その実現を可能にしたのは「大阪緑地計画」でした。
緑地計画は大緑地を出現させましたが、それ以外の計画はおおよそストップしてしまいました。
大阪に限らず、わが国の大都市における緑地計画はどうして出来たのでしょう?
素晴らしい計画を立てておきながら、その後の緑地計画はなぜ実現しなかったのでしょうか?
そして、そのような計画を作ったにもかかわらず、戦後は公園緑地の計画や整備は都市計画のメインとはならず、公園緑地の専門家は舞台の後方へと退けられていきました。
なぜでしょうか?

