山口の庭園文化を尋ねて

 秋もたけなわに差し掛かる11月10日。久し振りに京都を離れ、繁村誠人専務理事の案内で、山口県下での研修会となりました。山口市を始め、この地域は中世(主として室町時代)には「西の京」と呼ばれていたように、経済・文化の発展が著しく、その結果、現在も多くの文化遺産が残されていて、庭園もその一つと云えます。
 最初に訪れたのは、通称「月の桂」として著名な桂家(右田毛利家の家老職を世襲)の庭園です。枯山水に類別される庭園と云えなくはないが、通常の縮景タイプの庭園とは全く異なり、配石・石組は一切、様式を踏まえていません。二段重ねの石組が2箇所あり、その1つが南庭と東庭が重複する位置にL字型の大石を載せた石組となっていて、これがこの庭園全体を表象しているようです。旧暦の11月23日(新嘗祭の当日)、深夜に月(下弦の月)がこの大石の上(即ち南東の空)に昇る時刻に月を拝する催し(桂家代々の最も大事な行事)が行われるそうです。桂の樹は中国では「月中にある樹木」として重視されてきたという故事に基づき、月と桂(姓として名乗っている)との関係から桂家独自の神事(?)として継承してきたものと推察されます。こうしたことから、従来の庭園とは全く異なった自然観・宇宙観に基づいた空間であることには間違いないようですが、何故、石を重ねるデザインとなったのか、また他の石組・配石との関係等、理解し難い点も多いです。ただ、近くの山の斜面には、屹立して露出した大きな岩が随所に見られ、中には、重ね合わせたような露岩も所々に見られることから、地域の風土特性を表象した空間であるとも云えそうです。



 次は、毛利氏庭園です。明治から大正時代にかけて造営された大規模な池泉回遊式庭園です(約8.5ha、国指定名勝)。海(三田尻湾)を望む高台にあり、流れを導き、地形を活かし、巨木・巨石を多数配した実に豪快な庭園です。江戸時代の主だった大名庭園(池泉回遊式庭園)と同等程度の造りで、一定の評価は得られるでしょうが、明治・大正と云う時代背景や、「西の京」につながる地域の歴史、文化・風土特性との関連が物足りないです。また、借景となるエリアが、ほぼ市街地化し、海を望めないのも残念です。



 常栄寺の庭園は室町時代の中期、雪舟の作と伝えられる極めて著名な庭園です。最初は、周防・長門の地、北九州を版図にしていた大大名の大内政弘の命により、その別荘として造営され(館は無く、庭園のみ)、これが後に常栄寺の所有となったものです。西の京「山口」を代表する庭園で、全国的にみて、極めて特殊な庭園です。枯山水のエリアと池泉のエリアからなる庭園ですが、主体はどちらでもない。と云って、双方が溶け込んでいるとは云えず、逆に違和感を生じてもいないという絶妙のバランスを保っています。この理由は幾つか挙げられます。〜完茲謀呂辰董配石の数が多く、かつ均一的、散在的に配置されていること池の護岸石組が目立たないこと正面の滝石組以外、縮景等による具象的な石組等がほとんどないことです。加えて、方丈に面する枯山水のエリアでは、角張った石を「平天」にキッパリ据えた石組等、平天の石・石組が目立ち(一般的にはこの点が当庭園の特色とされている)ますが、これが枯山水エリアに留まらず、池中にも随所にみられます。こうした石の扱いが全域に拡がり感と統一感をもたらすとともに、訴求性の強い庭園になったものと思われます。

*平天:石の平らな面を上にして、テーブルのように据えること。    




吉田昌弘