古都における世界遺産(7)

栂ノ尾山高山寺

 今夏の気象も春に続き、観測史上の記録を塗り替えるような異常なものでした。夏日は勿論のこと日中の最高気温が35度を超す猛暑日、夜間の最低気温が25度以下とならない熱帯夜が続きました。九月に入ってからも秋の気配が余り感じられないようですが、秋の行楽シーズンに京都における紅葉鑑賞を視野に入れながら、少々違った視点で古都と世界遺産を考えてみたいと思います。

1.古都京都と都名所図会

 古都京都は千年の歴史が蓄積された平安時代の貴族文化に満ちた街というイメージがあります。しかし、室町時代末期15世紀後半に起きた応仁の乱によって京の町は殆ど壊滅状態になってしまいました。本シリーズで紹介しました営造物の多くが、この乱で焼失しその後再興、再建されています。これを復興させた原動力は、貴族でも武士でもなく、織物産業や商業活動をになう町衆の力でした。さらに徳川幕府関係の支援による事例も多く、昔からの伝統を残しながらも、江戸時代の文化・芸術・技術の継承が意外と多いことに改めて気付かされます。

 また今日の京都の町は、平安遷都時の条里制を基盤としていますが、実は豊臣秀吉の手によって築かれた道路交通体系、御土居と呼ばれる市域を囲む土塁などが礎石となって都市整備されてきました。

 本シリーズで毎回のように登場します 都名所図会(秋里籬島 1780年、以降「図会」という)は、平安時代の名残を読むというよりは、むしろ江戸時代後期、再生した京の町の風情、風俗、習慣、行事等人々の生活の実態を読み解く貴重な情報源と位置付けるのが良さそうです。この図会の中には桜と紅葉の名所が多く紹介されています。江戸時代においても庶民の楽しみとして春の桜、秋の紅葉は絶大な人気がありました。先回は京の行く春を惜しむ八重桜の仁和寺を紹介しましたが、今回は秋の紅葉を基軸に考えて見ようと思います。

2.京の紅葉の名所 三尾

 京都の紅葉の名所で、評価の高いのが都の北西部愛宕山(924m)山系の高雄山(429m)です。 洛中から京北町周山を経て若狭に通じる周山街道の入口部に位置するのが高雄です。江戸時代の文人西沢一鳳は日本一の紅葉の名所と讃えている位で、ここにあるモミジは所謂イロハモミジですが、特にタカオカエデと称し、特別扱いされています。そこから街道沿い、清滝川に沿って連坦する槙尾、栂尾は総称して三尾と呼ばれ、京洛随一の紅葉の名所として室町時代から親しまれていました。図会で紹介されている高雄山神護寺、槇尾山西明寺、栂尾山高山寺の絵図には紅葉狩りを楽しむ人や物売りの姿が描かれています。この三つの寺院について概略紹介しておきましょう。
三尾 周辺地図

(1)高雄山神護寺

 神護寺は、奈良時代の廷臣で平安遷都にも貢献した和気清麻呂が、和気氏の氏神として高雄に創建した高雄山寺(781年)に、河内に在った神願寺が合併(824年)されて神護国祚真言寺となったのが始まりとされます。合併前の高雄山寺には、唐から帰朝した空海(774〜835)も809年から14年間を住持としてここで過ごすなど、平安仏教の発祥地となった処です。その後伽藍焼失などで荒廃しましたが、平安末期になって文覚上人が後白河法皇の勅許や源頼朝の援助等を得て再興が進められました。
 図会にある伽藍は江戸時代に再建されたものです。金堂にある像高約170cmの薬師如来立像は平安時代に作られた榧の一木造りの傑作、また鐘楼の梵鐘は日本三名鐘の一つで、いずれも国宝に指定されています。

(2)槇尾山西明寺

 平安時代初期832年に空海の弟子である智泉が、神護寺の別院として創建したのが始まりです。荒廃、焼失と再建を繰り返した後、現在の建物は元禄年間5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院の寄進によって再建されたものです。

(3)栂尾山高山寺

 周山街道沿いの三尾の中で一番奥に位置しています。現在の高山寺の地には、奈良時代から度賀尾寺、神願寺都賀尾坊などと称せられる寺院が在ったようです。平安時代には文覚上人により再興されて、神護寺の別院とされたこともありましたが、実質的には鎌倉時代に文覚上人の弟子の明恵上人(1173〜1232、「古都」第52号参照)が後鳥羽上皇の院宣を受けて堂坊を復興、中興開山(1206) し、寺号を高山寺と改称しました。
高山寺金堂/近世の建築で仁和寺から移築されたもの

3.古都保存と世界遺産 

 これまで本シリーズで紹介してきました寺院、庭園は古都京都の歴史的風土特別保存地区内に在り、世界遺産に登録されているものでした。ところが今回上に記した三尾の神護寺、西明寺、高山寺は少し趣が違います。この辺り一体は京都市歴史的風土保存区域、高雄・愛宕区域に指定されていますが、特別保存地区になっていません。どういう事なのでしょうか。
 古都保存法と世界遺産について、もう一度簡単に復習しておきたいと思います。

(1)古都保存法について

 「古都」第52号に掲載されました 「古都保存法のあらまし」より抜粋して法律の概要を紹介しましょう。

\鏝紊涼しい都市開発の波は、京都、奈良、鎌倉等の古都にも及び、昭和40年前後に古都の景観を守ろうとする世論が高まりました。歴史的風土の保全については、文化財保護法、都市計画法、自然公園法等による各種施策が講じられていましたが、古都における歴史的風土の保存のための総合的な施策として特別の立法が必要との観点から、議員立法により昭和41年(1966年)、公布、施行されました。

古都とはわが国往時の政治、文化の中心等として歴史上重要な地位を有する市町村で、法律によって京都市、奈良市、鎌倉市の他に明日香村等7市町村が指定されています。

J歛犬梁仂櫃箸気譴詢鮖謀風土とは、わが国の歴史上意義を有する建造物、遺跡等が周囲の自然の環境と一体となって古都の伝統、文化を具現、形成している土地の状況の事とされています。

じ電圓砲ける歴史的風土を保存するために必要な土地には、国土交通大臣が歴史的風土保存区域を指定し、保存に関する計画を決定します。

ノ鮖謀風土保存区域内で風土保存のために枢要な部分は特別保存地区として都市計画で決定します。

Ψ築等の行為について、歴史的風土保存区域内では知事への届出、特別保存地区内では知事の許可を必要とします。

Я圧Δ竜可が得られない場合、府県では申し出により土地の買い入れをします。

以上の概要から推測しますと、高雄・愛宕区域は市街地から離れた場所に在り、都市開発の影響が少なく歴史的風土保存上の問題も発生し難いと評価されたものと思われます。

(2)世界遺産について

 世界遺産は遺跡や景観、自然等で人類が共有すべき顕著な普遍的価値を有する不動産で、1972年ユネスコ総会で採択された世界遺産条約に基づきリストに登録されたもので、顕著な普遍的価値を有する不動産です。日本では1992年に条約を批准し、その後世界遺産の登録が始まりました。
 世界遺産は三つのカテゴリーに分けられています。

仝加な普遍的価値のある建築物や遺跡などの文化遺産
顕著な普遍的価値のある地形や生物、景観などの自然遺産
J顕修伴然の両方を備えた顕著な普遍的価値のある複合遺産

 登録には人類の創造的才能を表現する傑作とか一際優れた自然美、自然現象とか10項目の基準が示されおり、この基準を少なくとも一つ以上満たしていると判断される必要があります。
 また遺産の価値が継承されるために、予め国内法による保護や管理の枠組みが策定されていることも必要とされています。日本では文化遺産の場合、主として文化財保護法で保護されますが、負の遺産として広島の原爆ドームが世界遺産に推薦される時、改正された文化財保護法により史跡指定された経緯があります。
 これまで紹介してきました寺院、庭園が世界遺産に推薦されるに際し、既に四半世紀以上の実績のある古都保存法の施行が効を奏したと言っても過言ではないでしょう。

世界遺産に登録された文化遺産は、観光資源としての知名度と地位を確保してきました。
ところがこれまで紹介しました各寺院においては、世界遺産に登録されていることには極めて関心が高く、標識やパンフレットなどにも明記されていますが、世界遺産登録を支えている古都保存法、歴史的風土保存区域、特別保存地区については関心が薄く、パンフレットへの記述が無いばかりか認識すらされていない所もあります。古都保存法の該当地域の関係者は勿論、一般の人達にも歴史的風土の保存の大切さを広く理解してもらいたいものです。

4.高雄・愛宕保存区域の世界遺産

 古都保存の特別保存地区のない普通地域の当該地で、素人的には三尾の中では多分神護寺が最も重要性が高い様に思われます。ところがどういう訳か高山寺だけが世界遺産に登録されています。登録のための推薦の理由までよく分かりませんが、最後に栂尾山高山寺の見所を挙げておきましょう。

都名所図会/栂尾山高山寺

(1)石水院 (国宝)

 明恵上人の中興開山後、1230年に作成された高山寺境内絵図が神護寺に現存しています。これには高山寺の大門、金堂、三重塔、阿弥陀堂、鐘楼、経蔵等多くの建物が描かれています。室町末期の戦乱により多くの堂坊を焼失しましたが、上人の鎌倉時代の唯一の遺構として残っているのが経蔵です。金堂に向かって右手後方にあった入母屋杮葺の建物で、図会では「春日・住吉」と書かれているものです。後鳥羽上皇の別院が学問所として下賜されたものだそうで、明治になって(1889年) 現在地に移築され石水院と呼ばれています。建物周辺の外構庭園部分は当時設けられたものと考えられます。
都名所図会/栂尾山高山寺(部分)、本堂(金堂)の右手「春日」「住吉」とあるのが経蔵で、移築された現在の石水院

(2)鳥獣人物戯画 (国宝)

 甲、乙、丙、丁の4巻から成る墨画絵巻です。最も良く知られているのが第一巻の甲巻で、兎と蛙の相撲の場面など、動物を擬人化して描かれたものです。今日の日本のマンガや劇画文化の発祥とも言えるでしょう。尤も石水院で展示されているのは模写本で、本物は東京と京都の国立博物館に寄託されています。
石水院(国宝)の入口門/奥に見える門の中に明治22年移築された。内部は撮影禁止。

(3)茶園

 境内に宇治の篤志家により管理されている茶園が在ります。茶については中国南西部が原産で、最初 最澄(767〜822)が入唐した折に持ち帰った(805年)とされていますが、我が国に導入されたのは鎌倉初期のことです。栄西禅師(1141〜1215)が養生の仙薬、延命の妙薬として宋から持ち帰った茶種が明恵上人に贈られ、栂尾に植え育てられたのが最初で、日本最古の茶畑です。上人は宇治などにも移植して広めたことから茶祖と称せられましたし、栂尾山は茶の発祥地として 本園 と称されています。
室町時代に流行した闘茶の世界では栂尾の茶が本茶で、宇治産の茶は非茶と呼ばれていたそうです。
なお 高山寺境内には遺香庵という露地(茶庭)が在ります。
これは1931年(昭和6年) 明恵上人七百年遠忌を記念して作庭されたものです。七代目小川治兵衛の手によるもので、飛石や景石の多くは栂尾周辺で調達された石が用いられています。
 普段は見学できませんが、寺では時折要望を受けて公開しているようです。

紅葉の時期(11月上旬〜下旬)を前に夏の終わりの高山寺は、訪れる人の多いこれまでの世界遺産とは趣を異にし、しっとりとした歴史的風土を感じさせる世界遺産でした。

高雄・愛宕歴史的風土保存区域に指定 昭和41年(1966年)
ユネスコの世界遺産に登録 平成6年(1994年)